本校練習船の歴史

 在学中から海と船に習熟し基礎訓練を施して、運航に必要な知識や技能を修得させることは、船員養成上欠くことの出来ない要件であります。それ故、商船学校の歴史は一面からみれば、校内練習船を軸として展開したといっても過言ではありません。百十余年の歴史を持つ本校にとっても、その時代時代に対応した練習船が建造され今日に至っています。


あまき 練習船「あまき」(バーク型300総トン補助機関付)は、当時の横帆装置の帆船に於ける一定期間の実習要件を満たすべく、大正5年(1916)藤の郷の江崎造船所で建造されました。
誠丸  その後、帆船実習は航海訓練所に移管されました。汽艇「誠丸」が昭和7年(1932)に海軍省より払い下げられ、校内実習や伊勢湾内の航海実習に使用されました。 (誠丸の写真は坂下安伸氏(航海科60期卒)のご厚意によるものです。)記事
たつ丸  戦後になって、昭和22年(1947)第1次計画造船を皮切りに、海運界は復興を開始し、昭和25年(1950)汽艇「誠丸」の代船として、大阪海上保安部で使用していた「たつ丸」(16.11総トン)が本校練習船として保管転換されました。昭和26年(1951)学校も文部省直轄となり鳥羽商船高等学校となりました。 資料(昭和30年4月15日(1955年)):船底の汚損状況プロペラ・舵周り
鳥羽丸(初代)  長年の念願であった学校練習船の建造が、昭和34年(1959)に決定され、山口県下松市の笠戸船渠(株)で建造(予算1,800万円、総トン数56.52トン)されました。この練習船が初代「鳥羽丸」です。船名は職員・生徒より募集し、そのうち最も多かった「鳥羽丸」が採用され、賞金1、000円が5名に分配されました。昭和35年(1960)3月竣工後、4月2日学校前に廻航されて引き渡されました。  初代「鳥羽丸」は本校において戦後初めて練習船として新造されたものであり、「誠丸」や「たつ丸」の様に老朽船を転用したものと異なり、近代的な機器を備えていました。しかも、沿海航行区域を持っていたため、練習船実習の行動範囲は大いに拡大されました。
鳥羽丸(2世)  しかしながら、戦後の高度経済成長期以後の飛躍的な技術革新に対応できる船舶職員の養成は、一方では商船高等専門学校への昇格(昭和42年(1967)6月高専発足)を促し、他方では教育内容の現代化に見合う高度な教育機能を備えた校内練習船が必要となりました。「鳥羽丸」代船が昭和44年度(1969)予算で建造(1億310万6千円)され、昭和45年(1970)3月18日池の浦にその姿を現し、6月1日創立記念日の日に竣工式が挙行されました。
鳥羽丸(II世:総トン数325.67トン、全長42.6m、全幅7.08m)
鳥羽丸(II世)とあさま2、しらぎく
(電子機械工学科設立時の絵葉書)
鳥羽丸(II世)とあさま2
(創立100周年の絵葉書)
過去の鳥羽丸係留の様子
(電子機械工学科設立時の絵葉書)

その後の鳥羽丸2世

情報を頂きました。ありがとうございます。 旧「鳥羽丸」(二世)は、本校練習船をリタイア後、フィリピンの商船学校で練習船として使用されていましたが、その後売船されました。 その現況が判明しましたのでお知らせします。 現在はマーシャル諸島で「パシフィックエキスプローラーⅡ」としてダイビング客船として活躍しています。外観もかなり船尾が変わっていますが、内装は完全な客船のようです。 詳しくは下記のサイトをご覧下さい。